大切な人が亡くなった話
こんにちは。
じぇいです。
本日はちょっとだけ
”重い話”をします。
決して楽しい話ではありません。
読みおった後どんよりした気持ちになったらすいません。
なので、
どんよりしたくない人は
本日の講義は受けなくて大丈夫です。
正直あまりこの話はしたくないのですが、
僕の講義を受けてくれている方
限定であればお話していいかな。
と思ったので話したいなと思います。
本題に入る前に
日々多くの方からLINEにメッセージを貰っています。
本当にありがとうございます。
こういうメッセージが多いと
僕も「より良い情報を提供して行こう」と
思わせて貰えます。
システムマーケティングプロジェクトの
募集を開始してからは
特にメッセージが増えましたね。
期待や喜び、参加しました
という意思表明のメッセージなど
いろいろなメッセージが来てます。
僕は読者さんに恵まれているなと思うのが
誰一人ネガティブだったり
批判的ななメッセージを送って来ない。
ということです。
やはり昨日の講義ではないですが、
聞く能力が高い人が多いので
僕の情報や僕の意図を汲み取って
学習している人が多いんだなと。
驚かされました。
ここ最近は特に多くて
目を通して返信していたらなんだかんだ
3時間くらいかかってしまいました。笑
でも読者さんと交流すると、
僕の講義を受けてどんな気持ちになるとか
僕に無い視点の質問があったり
とても勉強になるので
今後も読者さんとのメッセージのやりとりは行っていきます。
そんな中、
自分自身正しい方向に進んでいるつもりだけど
実際は間違った方向に間違った努力をしていた。
という事をじぇいの本質を捉える情報を
取るようになって認識できたと
言ってくれる人がとても多く見受けられました。
もちろん中には
寄り道しても最終的に
目標にたどり着けばいいのでは?
という意見の方もいるとは思いますが、
なぜ僕が成功までのスピード感にこだわるのか?
なぜ最短にこだわるようになったのか?
なぜ、時間にこだわるのか?
本当は話すつもりは無かったのですが
急遽内容を変更してお話ししたいと思います。
これからお話することは決して”明るい話”ではありません。
僕もあまり他の人に話したりはしない内容です。
この話を公開することで勉強になり、
考え方が変わるであろう人が
多いと感じたので特別お話しようと思います。
【失ってから気付いた大切なモノ】
僕は人生まだ三十年近くしか生きていませんが、
僕の人生から大切な人が1人いなくなりました。
それは少年野球の監督です。
監督とは僕が小学校3年生の時に出会った。
出会いのきっかけは、
父の影響で野球を始めたのがきっかけ。
地元ではとにかく恐い
という監督で有名だった。
とにかくエネルギッシュな監督で、
今では珍しいと思いますが、
普通にビンタとかされるは当たり前だった。
ただ監督は人一倍愛情が深く
野球の楽しさや難しさを教わったのはもちろんのこと、
本当に気が弱く、
嫌な事があると直ぐに逃げ出す癖のあった僕を
強くしてくれたのは紛れも無くこの人だ。
僕はこの人の元で学んだから
中学は全国屈指の”軍隊”
と呼ばれるほどの厳しい
野球部でも残ることができたし、
高校野球も決してキツいなんて思わなかった。
少年野球と言えば基本的に土日だけ。
しかし、僕だけは毎週火曜日と
木曜日の学校が終わった17時に公園に呼ばれる。
監督は仕事の休憩時間を17時に合わせ
わざわざ公園に来て
僕とキャッチボールをしたり
トレーニングやアドバイスをしてくれた。
1時間程度練習すると、
監督はまた会社に戻る。
大変な仕事の合間なのに、
休憩せず、僕のために時間を作ってくれて指導してくれる。
でも当時の僕は
「なんで僕だけ土日以外もあの鬼監督の顔みないと行けないんだよ!」
と親に愚痴をいつも言っていた。
それが大人になるにつれてどれだけ
感謝すべきことをしてくれていたのかわかる。
だから、
小学生のときは大嫌いだった監督だが
中学、高校、大学生になるにつれて
どんどん好きになって言った。
そんな僕には
ちょっとした1つの目標があった。
僕がある程度お金を持ったら、
東京ドームとかを貸しきって
そこでみんな集めて野球をする。
いつか、そんな恩返しを監督にしたい。
子供ながらにそう思っていた。
ただ、
その僕の大切な人は
僕の恩返しを受ける事無く
急に亡くなった。
僕は身内の人間や
周りの人間は健康な人が多く
これまで30年近く生きてきて
親しい人が亡くなったのは僕が
1歳の時にひいおじいさんだけ。
正直僕はその時の記憶は無いので、
監督が亡くなって
初めて”死”というものを感じた。
頭の中が真っ白になった。
しばらく現実が受け入れられなかった。
またいつものようにメールをすれば
返信があるような気がしていた。
仕事でプロ野球選手と
一緒にさせてもらう機会が会った時には
「あ、この話監督に報告しよう!」と
今でもふと思ってしまいます。
そんなことを思うときには、
なんでもっと早く恩返しできなかったんだろ。
後悔だらけです。
人ってバカだから
今ある日常が当たり前だと思ってしまう。
今周りにいる人がいつもいると思ってしまう。
だから「恩返し。いつか出来ればいいか」
つい後回しにしてしまう。
僕がもっと早くビジネスで成功していたら
東京ドームで野球させてあげられたのにな。
期間にすると1年くらい。
たった1年の期間で
恩返しが一生できなくなってしまった。
この出来事があったから
僕は今できる事はとにかく
最善を尽くして結果を出す。
余計な事は後回しにしない。
「あとでやればいいや」という考えが無くなった。
思い立ったらすぐ行動する。
時間を無駄にしない。
常にベストの選択を取れているか考える。
でも当時の僕は
今ある日常が当たり前だと思っていたから
この状況になるまで時間の大切さがわかっていなかった。
これが監督からの僕へ最後の指導だったのかな?
なんて思いこのメッセージを胸に刻んで
今仕事に取り組むようにしています。
少しでも後悔の無いようにするために。
僕の大切な人で亡くなったのは
まだ監督だけ。
おじいちゃんもおばちゃんも
父も母も親戚もまだみんな元気に生きている。
だから後回しにしがちな
親孝行や家族孝行はできるだけしている。
同じ失敗をしないように。
後であれしておけばよかったって後悔しないように。
時間を大切にしている。
ゴールを目指す時は最短ルートを選ぶようにしている。
「別に寄り道しても最短じゃなくても良いと思います。」
という感想メールがあったので、
僕がなんで時間にこだわるのか?
僕がなぜスピード感にこだわっているのか?
どうしても伝えたかったのでこのメールを書きました。
時間の使い方は人それぞれです。
でも、
亡くなった人に時間なんてありません。
亡くなった人にしてみたら、1分でさえ貴重な時間です。
その1分で愛する人に最後の電話をかけることができたはず。
お金は時間と違って無限にあります。
正しい方法・正しいマインド・正しい師匠。
これらがそろえば、無限に稼ぐことはできます。
お金があれば、時間も作れるし、
周りも使えるから周りも幸せにできる。
「もっと早くビジネスを成功していたら。。。」
この言葉を何回思ったことがあるか。
これからビジネスを始めようとしている人、
今始めている人。
いつ自分の大切な人がいなくなるかなんて誰にもわかりません。
後々遅かったと後悔しないためにも
1日でも1時間でも早く、
経済的自由、時間的自由を
手に入れるべきだと思っています。
そして、お金や時間を
ご自身の大切な人に使ってあげてください。
目標に向かって最短ルートで
ゴールを目指すというのは
自分の為でもありますが、
周りの大切な人の為でもあることを今一度認識してくださいね。
”いつか”ビジネスで成功すればいい。
”いつか”マーケティングについて勉強すればいい。
”いつか”行動してみせる。
「いつか」っていつですか?
その判断と行動が遅れたことによって
後悔する日が来ることだってあります。
「あのときやっていれば・・・」
この言葉腐るほど聞いてきました。
”あのとき”と後悔するなら
今から行動する習慣はつける。
これは本当にしたほうが良いです。
別にこれはビジネスに限った話ではありません。
でも本日テーマでは無いですが、
悲しいもので僕が
こういった過去をさらけ出しても
”他人事”としか捉えてもらないのはわかっています。
自分の身に悲劇が起きて
始めて人は変わったりしますから。
ただ極稀にこういう話を
”自分事”として捉えて
行動できる人がいるのでお話させて頂きました。
少し重い話になってしまいましたが、
「後回し」とか「いつか」という事をして
得する事は何1つありません。
思い立ったら行動して行きましょう。
PS.
多くの方が参加してくださっている
システムマーケティングプロジェクトですが、
明日で募集終了したいと思います。
嬉しいことに
講義を受けている50%の人が
”初日”に申し込みをしてくれました。
講義を受けてる全体の50%って異常な数字ですね笑
しかも初日だけで。
ですから。
本日の話ではないですが、
読者さんの多くが自分が後悔しないために
すでに行動する習慣が
身に付いて素晴らしいと思います。
僕もその行動を無駄にしないために
コンテンツの見直しを再度していきます。
下記詳細です。
【システムマーケティングプロジェクト詳細ページ】
何かご質問があればお気軽にご質問してください。
募集停止は明日中までですが、
ご質問をくださった場合のみ、
ご質問のやりとり等あるので、
募集期間は伸ばさせて頂きます。